箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第3章通信第三章第一節郵通信明治初年の郵便明治維新となっても、徳川時代の飛脚はそのままであった。それを利用できるのは、大名または豪商の一部の者で、箕輪町の各村では飛脚を必要とする時は、それぞれの村で立てていた。一般の住民が利用できる郵便制度に発達したのは前島密が明治三年五月十日に駅逓権正となり、明治四年駅逓司の長官となってからである。明治五年七月一日よりは全国の諸街道筋で県庁所在地は勿論のこと、公用私用等の繁多の所に郵便役所及び郵便取扱所が設置された。上伊那郡では伊奈部・高速に設置され、松島郵便取扱所は明治五年十二月一日から集配事務が開始され、所長には日野嘉衛が拝命されている。明治七年には筑摩県では管内郵便往復日割記を定め、郵便物の配送を行なった。筑摩県管下郵便往復日割記一松本ヨリハ毎半日午前五時、高山ヨリハ同日午前七時、野麦江往復ノ脚夫ヲ仕出シ、同所ニ干落合、郵便物ヲ交換シ右脚夫同所-二泊、翌暁五時ヨリ不遅様出発シ帰駅可致事但本文ノ脚夫野麦迄ノ間各郵便取扱所江往復共立寄郵便物ヲ請取渡シ可取計事一野麦一一一於テハ、松本二局山両地ノ脚夫到着侯ハパ夫々郵便物ノ諸世話可致事一右郵便線路中、北新・上波田・嶋々・入山・寄合渡・野麦・黍生谷ノ各郵便取扱所ニ於テハ郵便物差立、請取方共松本・高山両地ノ脚夫往復共取扱候義ト可相心得事便


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