箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第2章運輸第二章第一節飯運田志望輸伊那電車時代伊那電車の開通明治二十七年飯田町の伊原五郎兵衛を中心とする上下伊那の有志は相協力して伊那富村辰野から飯田町に至る四O哩(六四・四粁)聞に電車鉄道を設立しようと計画し時の内務大臣に請願した。創立委員は伊原五郎兵衛、辻新次他十三名であった。しかし、当時日清戦争のぼっ発などによって進捗せず、困難をきわめた。明治三十二年、伊那電車軌道敷設計画が認可となり、明治四十年九月に会社の設立を見た。その後、同年十月辰野伊那町間約十一哩(十七・七粁)の軌道の実測が行われ、明治四十一年九月用地買収して工事に着手、明治四十二年十二月二十八日辰野、伊那松島間五O哩二五強(八・五粁〉が開通した。しかし、辰野|松島聞は開業したものの、営業成績は甚しく悪く、赤字の状態であった。その上、伊那町までの延長建設の資金は乏しく、このままでは株金の払込みもむづかしいという状態になった。そこで第一に開業した辰野|松島聞の収支相償うよう営業成績の向上を図ることが第一であるとした。その上に株主の信用を得て、新しい資本を得る途を考え、続いて伊那町まで一気に工事をするという方針を固めた。幸に大方の株主の賛成を得てこの方法が実行にうづされたのである。


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