箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 799

伊那路橋江戸時代より岡谷街道の大橋であって、別名沢大橋ともいわれて、この橋の掛替、改修は沢を中心に北小河内、南小河内、大出の四ケ村の組合によって維持管理が行なわれていた。明治初年にあって上伊那の主なる橋梁として箕輪橋と伊那路橋が見られ、本格的な木橋としては、明治十三年O七月に、工事費一、五円で、長さ三十五問、幅一、二間と記されている。この橋も明治十七年七月には洪水Oのため一部流失したが、ただちに復旧工事が施行されて、同年九月十二日には県知事に対して、出来形精算帳が、提出されている。その申請書は次の通りであるが、旧来通り四耕地連名で東、中箕輪戸長が連名で連印して。コニ等県道天竜川架設伊那路橋出来形精算帳御願上伊那郡中東箕箕輪輪村村上伊那郡東箕輪村ノ内両小河内中箕輪村ノ内沢大出右四耕地ノ間天竜川ニ架ス一一一等県道伊那路橋ノ儀者本年七月中洪水ノ際流失仕引続本橋架換上願ヲ請ヒ御允可ヲ蒙り本年八月三十日落成相成別紙出来形精算帳相副へ上願仕候間至急御見分被下置度村吏総代連署ヲ以奉上願也上伊那郡東箕輪村ノ内南小河内耕地明治十七年九月二十日人民総代矢嶋八隅井沢泰次郎同村ノ内北小河内耕地人民総代小川儀助久保為次郎ググググググMHMMMQ


<< | < | > | >>