箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第1章交通第四編第一章第一節交通・運輸・通信-.与メー通交通要地としての箕輪町,江戸時代の五街道の一つ中山道は当時重要な天下の公道であった。伊那街道(三州街道)はこの中山道の脇往還であった。脇往還というのは主たる街道の補助線のことである。伊那街道は交通路として古くから聞けていたもので、中山道が公道として大名その他公用の者の通行が多かったのにくらべて、伊那街道は一般庶民の通行道の様相が濃かった。そのうえ中馬関係の往来が多く、物資輸送についての重要な道路でもあった。勿論伊那街道も一般庶民ばかりでなく、飯田藩主の参勤交代、公儀の巡察使の通過、旗本などの通行もあり、賑かであった。この伊那街道の一宿場としての松島があり、さらに松島北部に追分があって、松本方面、諏訪東京方面との分岐点となっていた。伊那街道はその後仮定県道三州街道として、東筑摩郡広丘村原新田より下伊那郡飯田町までの伊那街道とそれより南愛知県境まで達する根羽街道とが一本となる。一方松島追分で分岐した岡谷街道は諏訪郡長地(岡谷市)まで達するもので、これは上伊那から諏訪へ出る本道であった。このこつの分れるところに松島がある。従って宿場であると同時にこの二つの重要な街道のわかれ道というわけで、極めて重要な地であった。


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