箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第二節町の金融機関上伊那の銀行設立状況(明治三十三年末)を見ると、箕輪銀行というのがある。これには次のような状況等を記してあるが、当時の設立者、重役等は明らかでない。が、唐沢舎人、春日幸続、春日琢也等が関係している。箕輪銀行明治三十三年七月創立(三十三年末現在〉株金七積立金二六二円…一ヶ年純益金二、九八八円O、000円第11章金融銀行預金及び貸付金(明治33年〉預り金貸付金預り高I年残末金貸付高|芸室箕輪13,20613ベ59,2231松吉島支江庖6,41416,414146,213146,213大正十三年上伊那郡に支庖をもっ士口江銀行等とともに長野実業銀行に合併した。また明治三十一二年の銀行預金及び貸付金(長野県統計書より〉の上伊那関係を見ると吉江銀行松島支庖の名が見える。この士口、江銀行は明治三十二年塩尻に開業し千葉胤孝、原愛三郎等の斡旋で松島に支庖を開設したものである。これをうらづけるように、明治三十三年十二月二十四日及び明治三十四年五月二十四日付の松島支庖よりの入金通知書を見ることができる。さらに上伊那銀行が明治三十三年五月に伊那町に開業され、この中箕輪出張所が明治三十三年七月に中箕輪村七七六に開設されている。こうして中箕輪村には吉江銀行支庖と上伊那銀行中箕輪出張所ができて、この地方の金融のしごとをつかさどった。その後中箕輪出張所は明治三十七年也月上伊那銀行木下支屈として、大正、


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