箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 683

戦後の工業は、終戦をさかいとした工業の振興をあげることができる。特に箕輪町の工場数にあっては戦前と戦後を比較すると飛躍的に増加している。中箕輪村だけについても、昭和十一年の工場数一一が、昭和二十三年二五とふえ、その種別も食料品工業七、紡織工業五、製材及木製品製造業八、化学工業一、機械工業二、精密光四戦後の工業造し、冬期十二月より一一一月頃までの厳寒の頃生産を行った。この文化豆腐の生産は昭和二十二年まで続いたが、原料入手難のため廃業した。生糸凍豆腐(在来)グ(文化)菓子味噌種工2H葉凍酒生種子豆産産類腐造糸類物物工文化在来場一一九一九二O数製一O二四、左1三五O四高|OO七連五石二貫箱OO価一四四九四二九O三二一一一,1I.格O四六一七四五二48ムノ、ノ、、円職一工ー二二一一一七七五五ム五ノ、数工類工場数(昭和十一年〉(昭和五年七九一七八製五一六、000貫O二O七8六八00七盟主蓋をと1旦高価二ミてへQ三ミ四七O七8八五二七格六二O六五円--,職二一一一一五二六七二四工O数中箕輪村中箕輪村


<< | < | > | >>