箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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木炭木炭の生産実績の古いのは資料が見当らない。箕輪町として、昭和二十年以降のものは次のようにあげられているが、昭和三十年を頂点として四十三年はその約四分の一と激減している。これは近時燃料などの石油若しくは電気などへの転換から、こうした結果となったものである。木炭生産実績箕輪町昭和二年九二千切三五年二三九千切OO二五年一五三四年八四三年二四六回三年五八Oばら炭木炭の生産は戦時中から本格的に生産され、それ以前には自家用として「パラ炭」が生産され、採暖用として使用されていた。「パラ炭」は主として区有林の雑木を苅取り、土中に必要量に応じて穴を掘って雑木を焼き、棒でつふきながTら必要の量が出来る迄焼いて最後は上に雪又は水をかけて中のまだ焼けない部分をくすぶらして炭化させたものTである。二三時間そのまLにして「スゴ」「カマス」「麻袋」に入れて家に持ち帰えるが、散水が少なかったり、炭化させる時聞が短い時は、帰り道で発火して「現代版カチカチ山」になった。又無事帰宅しても一晩だけは庭先に置くが、大切に扱いすぎて物置、馬小屋、外便所に放置して火災の原因となることが非常に多かった。公営木炭生産は、町村又は森林組合が行い、町村有林の皆伐、間伐により出来るだけ町村民向にと初めたが、長くは続かなかった。薪薪生産の様子は次のようである。炊事、その他風目場まで薪を使用したものが、近時プロパン、石油、電気などへの移行が著しい。このため薪の需要も激減し、その生産も下降の一途をたどっている。民有林薪生産実績


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