箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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山羊・緬羊飼育頭数(中箕輪村)昭和6年7年8年9年中箕輪村13263039羊山飼育頭数〈箕輪町)恒竺竺L竺竺L3吋3吋45年箕輸町I708I634647577490明緬羊飼育頭数(箕輪町)|昭和2判35年畔|40年|45年一頭以上の大規模な多頭飼育も行なわれている。羽前後くらいま羽とか五羽と、ケージ式の箕輪町I42I1972742120明OO匹くらいOOOOOOの飼育なら、手軽くできた。飼育した兎は十一月か十二月頃兎の皮むきが来て、農家の軒先などで皮むきをした。皮は業者が買いとってなめし、防寒用として帽子につけたり、外套の襟などにつけたりした。また肉はあっさりした味が好まれ、冬の食膳に供せられた。また毛をかつて利用する、アンゴラ兎の飼育た。子供や老人の片手間しごととしては好適で、一飼育を行なった。これも飼料の自給がむずかしいことや、鶏卵価格の不安定などの理由によって長く続かず、有利な企業として成長するにはいたらなかった。近時卵価が低いので自家用としての飼育もへっている。戦前の飼育数などの統計はない。その他の家畜については、兎と小羊の飼育が行われた。特に兎については、田畑の畦などからの雑草で飼えるということと、場所がせまくてもいいというような利点から多くかわれくかう農家もあらわれ、三で飼育していたが、戦後になって現金収入のしごととして手広養鶏については戦前は自家用として僅か一五養鶏及びその他も行われ、戦後一時期大分普及したが、新しい繊維の開発普及


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