箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 477

第5章農業第五章第一節農業農業の概況明治維新の百姓の願い明治維新になって箕輪郷の農民たちも世の中の変革に鋭敏に反応した。即ち、次の文書は上古田村百姓代助右エ門の父助左エ門が、伊那県御役所あてに建白書を提出したものである。当時、世情おさまらず物価騰貴し生活も苦しいという様子であった。この中にあって、圏内の争乱のためか農作物も不作となり生活も困窮している。天下安泰となれば五穀も豊鏡となると思われるから正月十四日に物作りと言って天下泰平、五穀成就と書いてはり、それを祈るのでおゆるし願いたいという、趣旨のものである。これは百姓代助右エ門に代ってその父が提出したものであるが、助右エ門に罪のかかるのをおそれて、父の名で提出したものであろう。ところが翌明治二年、「不作にして、人民前年よりも著しく窮す。細民草根木皮を食するに至る。」と伝え、天保以来の凶年なりといわれた。また維新直後のこととて明治政府の施政の基もかたまらず、藩札発行、にせ札流行、手形発行などのことがあり、この建白書の述べる世情など箕輪郷の百姓の生活にも、大きく影響したことがうかがわれる。


<< | < | > | >>