箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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OOOOOOO大正六年松島の現在地に開業、昭和四十六年に残するまでの五十余年問、終始当町に在住して歯科医療につとめた。その間長野県歯科医師会理事、国保運営委員等を歴任。現在は、三十年開業の長男河野斉、小松正明の両歯科医で開業している。菊地歯科医院(菊地顕三)LJ昭和二十四年三十二年まで木下で開業植野歯科医院(植野公雄、植野照子)昭和三十六年四十六年まで木下で開業下島歯科医院(下島計雄)昭和三十七年四月より松島で開業現在に至る。唐木医院(唐木英内科〉大正三年広島市で開業、同十五年八月郷里の木下常盤町に帰って、昭和十年十一月まで営業していたが、同年十二月より北佐久郡中津村診療所へ移った。その後、泰阜診療所、清内路診療所長等を経て昭和三十三年残した。細井医院(細井要人眼科)宝歴年聞から続いた医者の家に生まれ、万延一万年から明治末期まで福与で開業、眼医者として聞こえ、細井文嗣宅を宿にして、遠い他郡からの患者も多くあった。原医院(原玄貞〉明治十八年、江戸時代から続く家業を継いで医師となり、大正十一年まで約四十年間北小河内で医業に従事。嫡男原麗二も明治三十八年東京の医大を卒業して医師となり、昭和十五年まで医業につき、この間大正九年から昭和十四年まで、箕輪東小学校の校医をつとめた。小野医院(小野道寛内科)明治四十五年医師免許取得後、東大付属病院、順天堂病院で研修し、大正十二年に木下で開業、昭和三十八年


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