箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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このほかに、飲用水供給施設(人口一OO人未満の地区の水道〉として、長岡地区、長岡新団地区がある。第三節国民健康保険中箕輪村に国民健康保険組合が設立されたのは、昭和十七年十二月一日である。設立に当り、大槻茂村長が発起人代表となり、設立の趣意書を各戸に配布して加入を呼びかけた。趣意書では、重大事局に際し高度国防国家を建設することが急務で、そのためには国家活動力の源泉である国民体位を向上さぜることが極めて重要である。国民健康保険組合は、過重な医療費の負担を、相扶共済の精神に基づいて平常の掛金で支払い、国民が不安なく容易に医療を受けられるようにするためのものであるから、全戸加入するようにと強く訴えている。戦後は中箕輪・箕輪・東箕輪の三か村とも引続き事業は継続されたが、その運営は実に困難を極めた。保険料の滞納、受診率の増加に伴い給付費支払いの遅延、インフレーションの進行により医薬品の欠乏から、保険診療は医師からはよろこばれず、国保運営上最大の財政危機に遭遇した。この制度は相扶共済の目的をもって発足したのである、が、制度の趣旨が村民に不徹底のまま、上から強制的に命令されて設置された組合であるために、崩壊の寸前まで追こまれた。このような時に、昭和二十三年一月厚生省が国保法改正要綱を社会保険制度調査会に諮問して、賛成を得たのが、次の改正要綱である。-保険者は、原則として市町村である。2被保険者は、市町村地区内の世帯主及びその世帯に属する者(健康保険その他の被保険者を除く〉はすべて被保険者とすること。国民健康保険を行なう市町村は事業運営を審議するために運営協議会を設けること。市町村は国保を行なうために、条例を制定、特別会計等を設けること。43


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