箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第三章第一節警察明治初年の警察南小河内村の探索長野県における近代警察制度は、明治九年にできあがったと考えるのが妥当だという。それ以前における当町の警察制度の状況は、東箕輪矢島家の資料等から推定すると、概略次のとおりである。慶応四年八月二日に伊那県が取建られ、県庁が飯島の元陣屋に置かれ、県知事には北小路俊昌が任命された。同年九月八日明治と改元され、旧旗本太田氏の知行所であった松島村と南小河内村、福与村を除く現箕輪町の村々はすべてこの伊那県の管轄になった。(松島、南小河内、福与村の伊那県編入は二年六月である。〉この伊那県の官職員、職掌表によると、「聴訟、断獄ノ事ヲ主裁」したのが判事で、「律令ヲ参訂シ罪人ノ所置ヲ掌ル」のが庶務方の中の監察、小監察、「捕縛禁固及牢獄ノ締リヲ管ス」と治安第一線で働いたのが捕亡であった。中には庶務方租税掛で断獄罪安方を兼ねるもの、庶務試補で捕亡を兼ねるものもあったりして、この期の警察事務は独立しておらず、一般行政事務に混入されている状態であった。前記によると、伊那県での警察関係担当者は、監察五、捕亡頭取三、捕亡方五であったようで、この組織で上O下伊那の四余か村と筑摩、小県、佐久、更級の旧旗本の釆地まで管轄することは不可能だったにちがいない。従って村々の治安については、名主等村役人の力に頼った摸様で、そのことは次の資料から推定できる。明治二年九月五日(推定)、伊那県監察北原稲雄から、南小河内村名主へ次の書状がきている。表書きには、


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