箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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明治三十六年の県税戸数割各人ノ納額議決調書をしるせば、次の通りである。明治三十六年度県税戸数割各人ノ納額議決調書聖喜書岡岡下市河同定市惣上ヲ・上メ・定町タ町一上メ・一上ル・四拾人ノノ人詩人警ノノ人拾人対一納納ス税惣税惣ル平平市町均額均額ヲ員弐拾倍厘六分八厘四九ぎ八七五百芸幸百円百一毛毛七五六宣明;三五里参銭三百壱ムノ一一土"'τZ銭毛一拾九人十四、分比時上百分欄上欄塁額人ノ実金額=智惣ノ〉忽割」目員物ニ対一対対金ス~TスFレス/レス百ノレ百ル額同同同同壱上上上上千百分百分百分百分百四ノノ七ノムノ、ノ-ー-拾円弐九、ニ一ニ、占ノ、、四七五O五O四九四拾銭九七八四市町村位七等上伊那郡中箕輪村尚、中箕輪村の県税戸数割・等級割賦課率表の率を、見ると日清戦役後、下層戸数が多くでてきていることをしることができよう。又、表3の明治二十八・三十二年の等級率と、次の表とを比較すると、上層戸数の増加のあることもしることができる。O又、箕輪村の明治末期の賦課率表は、次の頁となる。一一一等級の賦課率となっている。


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