箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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染物工場(清水屋)にかわり、跡は水田となり、現在は昭和四十五年度生産米調整実施水田の立札のもと一面に大豆の棄が茂っている。養泰寺清水大泉喋層下部は木下部落西側に長く崖として南北に連なっているが、養泰寺清水もその崖下から広範囲に渡り流出し、水量も多く、池の様相をなす程である。木下水道の水源としても利用され、庭園となっている。なり、国道一五三号線にそって、今も見られる。近くに製糸工場もあった。其の他八乙女、下古田の中間徳川初期戸数一戸の時代より飲用盤、昭和二十八年横井延長四五とした水源がある。OMO泉沢清水湧出は養泰寺清水と同系であるが集中して多量の清水と水としたという清水が北の沢川北岸にある。戸数の増加により横井堀農耕用として、木下上の段地籍にある。土堤下の湧水をポンプアプにより水田に濯水している。木下水道水源近くに湧出する水を利用しなだらかな斜面を流下させてわさびを栽培している。大出段丘崖より天竜川方向にそって多くの湧水があるが、穂高のわさびの栽培技術を導入してわさび栽培がおこなわれている。このほかの著名な清水上宙回|一ばい清水、烏帽子清水、よきとぎ清水南小河内ーさがり坂清水、丸山清水、赤城清水、たての清水、さんやりくぽ清水北小河内桜井清水、中島清水、香の池清水


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